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ジョナゴールドさん、10000字ロングインタビュー/りんご娘卒業からソロアーティストとして

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ジョナゴールドさん、10000字ロングインタビュー/りんご娘卒業からソロアーティストとして

 2022年3月31日にりんご娘を卒業し、シンガーとして活動を始めたジョナゴールドさん。弘前を拠点に活動を続け、ソロアーティストとして約1年。2023年1月18日には初のアルバム「WEEKEND」をリリースしました。彼女の原点と「WEEKEND」に対する思い、今後の目標について聞いてみました。

実は事務所を退所するつもりだった

ーー2015年10月にりんご娘の「ジョナゴールド」として活動するまでのお話を聞かせてください

小さいころは仙台、小学3年、4年までは函館にいました。転勤族の家庭に生まれて、正確には青森生まれだと聞いています。学校では吹奏楽や合唱やダンスをしていました。当時はアイドルとかシンガーとかあまり興味はなかったですが、漠然とステージの世界は楽しそうだなといった印象を持っていました。

中学はバレーボール部に入り、水泳も習っていたことがあります。中1のたぶん春前ごろ、家族と自動車の販売店を訪れた時、樋川新一社長に誘われ、リンゴミュージックのオーディションを受けることにしました。りんご娘になるきっかけは樋川社長のスカウトというか、声を掛けていただいたことから始まり、今に至っています。

オーディションには合格し、アルプスおとめの「福士」(※)として活動を始めます。めちゃくちゃやる気があったわけではなく、かわいい服で踊れるならやるみたいな感じでした。当時のアルプスおとめのメンバーは7人。わたしはリーダーとして2015年9月まで活動しました。ちなみに赤坂麻凪(元りんご娘の彩香)さんは、私の半年後に入所しています。
※アルプスおとめはりんご娘の妹ユニットで、りんご農家に多い苗字を芸名にして活動している

インタビューに応じるジョナゴールドさんインタビューに応じるジョナゴールドさん

実は、事務所を辞めようとしていた時期がありました。アイドルになりたいという強い目標が当時あったわけではないし、そんなことを考えていたのは中学3年の時で、高校進学を控えていました。夢がたくさんあって、獣医やトリマーの仕事を目指そうとも思っていたころでもあります。動物に関わる仕事に就きたかったので。メンバーの進退が発表されることの多い4月を過ぎても特に発表がなかったので、「りんご娘になれないなら、リンゴミュージックを退所してもいいかな」と、そんなことを思うようになっていました。今にして振り返れば子どもっぽい考え方ですよね。

ーーでもりんご娘になりました

はい、両親には事前に樋川社長から伝えていたみたいなのですが、わたしに伝えられたのは9月に行われたパワーライブの時でした。高校進学を目前にしてジョナゴールドとして活動することになったのです。ちなみにジョナゴールドはりんご娘では2代目の名前で、1代目のジョナゴールドさんは王林さんとときさん(現在の和海さん)にとって先輩だったから、わたしを「ジョナゴールド」と呼ぶことに抵抗があったようです。だから、あだ名で「J(ジェイ)」と呼ばれるようになりました。

福士として活動していたアルプスおとめ時代のジョナゴールドさん(2015年)福士として活動していたアルプスおとめ時代のジョナゴールドさん(2015年)

あの人からの一言で「りんご娘」になれた

ーーりんご娘に加入した当初の活動を教えてください

りんご娘として加入した当初は、王林さんとときさんの先輩2人に彩香と私の後輩2人という4人体制でした。立ち位置が2人の両サイドだったし、衣装も違ったことが多く、グッズも2人の物しか売られていなかったこともあって、バックダンサー感は否めなかったです。先輩の陰に隠れているという意識が心にあって、とりあえず2人の先輩についていかないと、といった感じでした。

りんご娘加入当初の様子(2015年)りんご娘加入当初の様子(2015年)

りんご娘として気持ちに変化を与えてくれたのは2016年9月の国民的アニメソングのカバーコンテスト「愛踊祭~あいどるまつり~」でした。その1年前の「愛踊祭」では王林さんとときさんの2人が東北エリアの代表として全国大会に出場しましたが、優勝候補として期待されながら敗退しています。4人体制になってそれ以上の結果が残せなかったら、後から加入したわたしと彩香のせいになってしまうのではといった不安がありました。

ーーそんな中で「愛踊祭」は優勝しました

優勝できたことはもちろんうれしいのですが、それよりうれしかったことがわたしにはありました。この大会で審査員を務めた音楽プロデューサーの多田慎也さんから「歌のハーモニーが良かった」とコメントしていただいたことです。わたしの名前はまだ憶えてもらっていませんでしたが、それまで王林さんとときさんの後ろにいたバックダンサーという気持ちが変わった瞬間でもありました。ちゃんと見てくれている人がいて、評価をしてくれる人がいるんだと。

ーー多田さんの一言がジョナゴールドさんに影響を与えた?

そうですね。王林さんとときさんのことしかりんご娘は見られていないんだろうな、というネガティブな考えがわたしの中にありました。2人の方がやっぱり注目されているんだろうなって。そんな気持ちをずっと抱えた中で掛けられた言葉だったので、めちゃくちゃうれしかったです。今振り返れば、その時に初めてりんご娘として認められた気がしました。

しかも、その相手が多田さんだったことも感動でした。というのも多田さんのことはそれ以前から知っていたからです。わたしはジャニーズグループ「嵐」が好きで、多田さんの曲をもちろん知っていました。歌詞カードにも載っていたような雲の上の人です。そんな多田さんから掛けられた言葉だったので。

ヒロロスクエアで「RINGO STAR」を歌う(2017年)ヒロロスクエアで「RINGO STAR」を歌う(2017年)

ーー多田さんとはそこから交流が始まります

「愛踊祭」優勝の副賞として多田さんから楽曲を作ってもらいました。それが「RINGO STAR」です。歌詞カードに出てくるようなすごい人が多田さんに対する最初の記憶。次は「愛踊祭」の審査員。会えただけでもうれしくて、さらにコメントをもらえたことがうれしかったのに、今度は同じものを作るスタッフというか、仲間になれたことが夢のようでした。

今でも覚えていることがあります。「RINGO STAR」のレコーディングは東京のスタジオで、レコーディングが終わり、帰りの新幹線の中で「多田さんとはもう仕事ができない」と号泣していました。レコーディングのことはまったく記憶にないのですが、帰りに泣いたことはなぜか記憶に残っています。

ーーでも、その後も楽曲を作ってもらうことになっていますよね?

そうなんですよね(笑)もう多田さんとは会えないんだと思っていたら、あろうことか次の楽曲「アメノチヒカリ」でも多田さんと会うことができました。今度は弘前で。多田さんとは本当にそこからでした。しかも多田さんは弘前に移住もしています。今では普通に「多田さん、おつかれさまです」なんて言える関係ですよね。

多田さんとはライブで共演する機会が増えた(写真提供=リンゴミュージック)多田さんとはライブで共演する機会が増えた(写真提供=リンゴミュージック)

コロナ禍の「りんご娘」、そして卒業

ーー「愛踊祭」優勝からのりんご娘の勢いは目を見張るものがありました

この4人だったら怖いものなんかねぇよ、と息巻くヤンキーのような勢いがありましたよね。新曲をリリースする度に毎回毎回、楽しくて楽しくて。何か一つやればまた次の世界が見えてくるというか、どんどん先に進めている感じがあって、すごく楽しかった。今振り返ってもそう思います。2019年にリリースした「FOURs」では初めて全国ツアーがあり、メンバーやスタッフと一緒に全国へ行けることが単純に楽しかった。

青森のファーマー(※)だけでなく、全国にファーマーが増えていきました。東京へ行ったら東京で待ってくれているファーマーがいて、そんな活動が本当に怖いもの知らずだった。「FOURs」「JAWAMEGI NIGHT!!」「0と1の世界」あたりが一番ギラギラしていました(笑) 自分たちがやりたいことが次々と形になっていくことを感じることができていました。
※りんご娘のファンのことをファーマーと呼ぶ

活動を振り返るジョナゴールドさん活動を振り返るジョナゴールドさん

ーー新型コロナウイルスの感染拡大が始まった

2020年はりんご娘が結成して20周年の年で、全国20カ所でのアニバーサリーツアーを予定していました。準備もしていたし、20公演できることをすごい楽しみにしていました。ツアーで予定になっていた東京・代官山ユニットというライブハウスはワンマンでやることが夢だった場所です。憧れの先輩のような存在で新潟のご当地アイドル「Negicco」さんもやったライブ会場だったので。本当に楽しみでした。

アニバーサリーツアーが中止になったという連絡は、事務所で直接聞かされたというわけではありません。みんなそれぞれ自宅待機だったので、わたしは自室でマネージャーから電話で聞きました。その時、ほかの3人の様子がわからないし、どう判断していいのかもわからなかった。3人がへこんでいるのか、意外とけろっとしているのか分からない。どう受け止めたのかあまり覚えていません。

ーーコロナ禍での活動で覚えていることを挙げるとすれば何がありますか?

何よりファーマーとの交流がなくなったことが大きなショックでした。リリースイベントを開催する度にファーマーの数が増えていくことが目に見えて実感があったので、それがなくなったことがつらかった。実際、自分たちに興味のある人がどのくらいいるのかが見えなくなって、SNSでしか繋がっていない状態でライブもできなくなって。コロナ禍でも20周年らしいことをしようと、リアレンジアルバムをリリースしたり「ソーシャルディスタンスライブ」やYouTubeの配信などを始めたりしましたが、すぐにはできなかった。

とにかく怖かったことは、立ち止まることでした。いろんなことや人が一気に離れていくんじゃないかと思っていました。コロナ前は東京や青森でもいろいろな場所によく行っていたのに、コロナ禍になってどこにも行けなくなってしまった。

そして、コロナでリリースイベントすらできなくなって、ファーマーとリアルで接する機会がなくなったことで、活動の実感を覚えることが少なくなってしまいました。

ーー卒業はどんな形で決まっていった?

りんご娘に誰かが残ったり誰かが離れたりするといったことはありませんでした。4人でりんご娘だった時間が長かったからなのか、思い出が多かったからなのか分かりませんが、わたしにとってメンバーはこの3人が最後でいいなって。長い時間、悩むことはなく。やっぱりそうだよねと。きっぱりと。この3人と最後までがんばれたらいいと、わたしは決めていました。

不安ばかりでソロ活動がスタート

ーー卒業してその後の活動はどう決めましたか?

普通の大学生になる未来を一瞬考えたりもしましたが、正式に卒業を発表して、みんなそれぞれの道が見えつつある段階で、「ソロとして活動してみませんか?」と言われた気がします。スタッフの間でソロプロジェクトの企画はあったみたいなのですが、まずはりんご娘を卒業する。当時は卒業するということ以外、わたしの中には何もありませんでした。

ほかの3人はりんご娘をやっている時から、モデル活動をやりたいとか演技をやりたいとか目指すことがあったけど、わたしは3人とはちょっと違っていました。ただただライブをしたかった。音楽活動をしている時が楽しかったから。りんご娘の活動に満足していた部分もあったので、強いてあげるなら、一人で歌ってみたいなーということでした。

ライブ中のジョナゴールドさんライブ中のジョナゴールドさん(写真提供=リンゴミュージック)

だからソロとしての活動を持ちかけられた時、わたしのソロ活動に力を貸してくれる人がいるっていうことがうれしかった。ですが、すぐに返事はできず、心を決めるまでけっこう時間をかけたと思います。実は、わたしの中で青森を出るという選択肢もゼロではなかったので。でも、どれも自信がなかったんです。一人でやっていくことに自信がありませんでした。わたしにとってのソロ活動というのは、グループをやりながらというイメージで、りんご娘という戻る場所があったからやれることだったんだと思います。

ーーしかし、りんご娘を卒業してソロ活動がスタートさせます

4月、5月のころはまだ自信がなく、ビクビクしていました。1人になってしまったから。何をするにしても気持ちを共有していたメンバーがいなくなり、事務所に行っても誰もいないし、イベントなどの控室に呼ばれても、今まで控室では何をしていたんだっけ?という感じになりました。「見た映画がおもしろかった」とか「食べたものがおいしかった」とか話をする人もいなくなった。用意されたお菓子を食べるくらいのことしかなかった。どれだけメンバーと話をしていたんだろうと感じていました。

5月中旬くらいまでは常に肩が上がっている感じだったと思います。わたしも緊張のやり場が分からないから、どこに逃がしていいのか見つからない状態で、4月、5月はやり抜けていました。6月に入り、弘前のライブハウス「キープザビード」で「ど平日だっていいじゃない」と題した平日のランチタイムにミニライブをしたのですが、そのあたりから少しずつ緊張が調整できるようになっていった気がします。

ーー気持ちに変化を与えたきっかけがあったのでしょうか?

特に何かがあったわけではありません。1人で立っているステージがみんなからどう見えていたのだろうとか、ちゃんとできているのだろうかとか、いろいろ考えてしまい、一人反省会なんかを永遠にやりこんでいました。ライブに成功とか失敗とか言いたくありませんが、成功の形が分からないまま当初は始めていました。それを踏まえた上でやるしかないと吹っ切れたのが6月のライブ。リベンジのような意気込みでした。

もっとファンが減ってしまうのではという不安もありました。りんご娘であるジョナゴールドについてきてくれていたんだろうと思っていたので。でも、りんご娘の時から応援してくれていたファンが、またライブに来てくれていたり、声を掛けてくれたりしてくれたので、わたしが勝手に思っていただけなのかと、少しずつ自信が付いていくようになっていきました。

そして、7月になって一人でやるライブの楽しさを実感できるようになったのかなと思います。青森県内のライブハウスを回るツアーや新潟でのライブなど、とにかくライブをたくさん行って、「これでいいんだ」とつかんだものがありました。

ライブに多くのファンが集まるようになった(写真提供=リンゴミュージック)ライブに多くのファンが集まるようになった(写真提供=リンゴミュージック)

ーー活動スタイルに何か変化が生まれた?

りんご娘だった時は曲と曲の間のMCにはそれぞれの担当があって、何を言うかとか相談しながら決めていました。しかし、今は相談するメンバーがいません。メンバー同士がお互いに指摘しあって直していくこともありましたが、それもありません。「練習をもうちょっとやりたい」って誰かが言ったらみんながそれに付き合ったりもしていたのですが、ソロになってからは、それもなくなり、練習ってどうやっていたんだっけと、悩むようなこともありました。練習の調整も全部一人でやらなければいけないので。

MVの撮影も今までは4人で撮影していたので、待機時間が長かったけど、1人だと被写体がわたしだけになってしまうので、フルに撮られることになってしまったので待機時間がほぼありません。りんご娘の時は「今のかわいいよね」とか言い合いながら真夜中でもテンションを上げていったのですが、そんなにぎやかさもなくなりましたよね。今でも慣れない部分ではあります。

でも、ソロのやり方は心を開けば、開いた分だけみんなが受け止めてくれるということに気づいたんです。ほかのメンバーがいない分、ファンとの距離も近くなったというか。そこからはエンジン全開。楽しんだ感じ、というよりファンに楽しませてもらっているという気持ちになりました。

ファーストアルバム「WEEKEND」に込めた思い

ーーWEEKENDについてお聞かせください。

「WEEKEND」はわたしの活動コンセプトで、デビューライブやファンクラブ名にもなっています。そのタイトルをつけたアルバムとしました。楽曲提供には多田さんはもちろんのこと、「空気公団」の山崎ゆかりさん、ロックバンド「音速ライン」の藤井敬之さん、シンガー・ソングライターのおかもとえみさんらに参加してもらい、多彩なアルバムになりました。ソロとして活動を始めた約1年を込めたアルバムです。

ファーストアルバム「WEEKEND」ファーストアルバム「WEEKEND」

1曲目の「ハジマリズム」は、リリースとしてはセカンドシングルになるんですけど、デビュー曲「7号線」の後だから、ちょうど自分がソロとして伝えたいことが見つかったくらいにできている曲なんです。だから「7号線」の時よりももっと解放感のある中で楽しく歌った曲のイメージがあって、MVの撮影が弘前市内でファンやバックバンドと一緒に撮ったこともあり、みんなと一緒に作ったという印象が強いです。ライブの定番曲にもなっているので、わたしとしてはみんなで盛り上がる空間が作れる曲です。

2曲目の「Rain Dance」は3つの新曲の1つなのですが、わたしが唯一リクエストを出した曲でした。「どういう曲がいい?」と質問されたことがあり、何て答えたらいいかわからなくて、なんとなく「主人公みたいな気持ちになれる曲がいいです」と伝えました。それで多田さんからできあがった曲がこの曲だったのです。わたしが思い描いた主人公がそのまま曲になったような感じなので、まさにビックリです。多田さんすごいと。

3曲目の「アメリア」は、「音速ライン」藤井さんが作ってくれた曲で、ライブだと会場や来てくれる人によって、見せ方がすごい変わる曲だなと感じています。しっとりとしたロックになる時もあれば、激しめのロックになる時もあり、わたしも歌っていて楽しいし、ライブでしか味わえない曲です。CDで聴くのとは違う雰囲気になる「アメリア」はぜひライブで聞いてもらいたいです。ライブを楽しみにしてほしいなと伝えたい曲です。

4曲目の「好きみたい」は、もともとりんご娘の曲なんですよね。りんご娘の楽曲とは違うアレンジになっていて、おしゃれな大人が感じる「好きみたい」に変身しています。りんご娘の原曲では女の子がちょっと背伸びした感じの曲でした。でも、この曲のレコーディングで、本当にそのまま自然に歌ってみたら、大人っぽくなっていたことが不思議です。時間の長さというか、わたしも成長したんだなと思う曲になっています。

5曲目の「Yeah-Yeah」は、嫌なことを全部忘れて楽しめる曲です。自分の曲だからステージに立たなきゃいけないんですが、本当は客席から聞いて盛り上がりたいですね。ライブではまだ歌ったことがないから、ちょっと緊張はあるのですが、早くライブで歌ってみたいです。ラジオでオンエアした時に、リスナーから一緒に手を挙げて盛り上がりたいといった反応がたくさんあったので、早くみんなの前で披露して楽しみたいです。

6曲目は「風待ちリップ」。デビューシングル「7号線」のカップリング曲だったので、ソロになってすぐにレコーディングした曲でした。その音源を今聴くと、すごい緊張している様子がわかります。自分の中で記憶があるからそう感じているのかもしれませんが、声はその時の心境や心を映すんだなって感じさせる曲です。だけど、恥ずかしいから録り直したいとか、そんなことはなく、これがわたしの歴史になっていくんだろうなと思っています。将来また振り返りたいなって思える曲です。ライブでは定番化しつつあるので、みんなもライブでは楽しみにしてほしいです。

7曲目の「祭りのあとの、あの風は」は、空気公団の山崎さんの曲なのですが、今までで一番歌うのが難しかった曲です。りんご娘も含めてわたし史上。少しの息遣いやブレスの大きさで頭の中に浮かぶ景色がこんなに変わるんだって感じました。だからこの曲はいつまでたっても緊張してしまいます。そして、この曲から伝わる景色がちゃんと伝わったらいいなって。この曲をリリースした時、Jの声じゃないみたいといったファンからの反応がたくさんあって、そういう曲に出会えたことがうれしいと思いました。

8曲目の「WAVY BABY」は、おかもとさんに提供してもらった楽曲で、「こういう曲を歌いたかったです!」と素直に思える曲です。おかもとさんとは弘前でお会いしました。弘前まで来てくれて、わたしのライブを見て、曲の話をしました。どういう音楽がいいのかとかそんな会話をしたわけではなく、日々をどういう風に過ごしているのか、とか、些細な日常を一緒にお話ししました。「ドライブが好きなんです」とか「土手町をよく通学路で走っていました」とか。そしたらわたしの言葉が歌詞に取り入れてくれたり、それが曲になったりしていました。そういった会話から音楽として形になったことが、おもしろかったです。

9曲目は「7号線」。わたしにはいつまでも原点であり続ける曲です。初めて「7号線」を歌った時の気持ちを大事に覚えておこうって思っています。りんご娘の時は、初めてのステージのこととか初めてのレコーディングのこととか、全然覚えていなくて、たぶん深く考えられていなかったと振り返って感じることがあります。何に気をつけるべきだったとか。その覚えていないということが悔しくて、だからこそ「7号線」というスタートは絶対に覚えておこうって思いながら歌った曲です。これからも何かつまづいたりぶつかったりした時、わたしは「7号線」に帰ってくるんだろうなって思い、大切にこれからも歌っていきます。

最後の「WEEKEND」は、初めて聞いた瞬間から大好きで、わたしの元に来てよかったと思える、ほかの誰にも歌わせたくないって思ってしまうくらい好きです。この曲を書いてくれてありがとうございますって多田さんには感謝しています。ソロで活動を始めてから「WEEKEND」という言葉を大事に続けてきましたが、「これがジョナゴールドです」という曲です。この曲が生まれたことがとてもうれしいです。

これからのジョナゴールドさんが目指すところ

ーーソロライブを青森、東京、大阪と行いますが、意気込みを教えてください

一つの挑戦として、ボーカリストとしてライブを引っ張っていきたいというものがあります。今度のライブは3つの会場でやりますが、バンド編成でのライブを青森と東京でやります。バンド編成のライブは昨年2回やってみました。そこで感じたことは、バンドの音を自分のものにして中心になってもっと堂々と歌えるようになりたい、でした。もっと盛り上がれるライブにできそうだ、やってやるぞ!というのが、今の率直な気持ちです。大阪の会場は一度「FOURs」でやったことがある場所なので、新しい思い出を更新したいなって思っています。バンドじゃないからこそできるものもあるので、楽しみにしていてほしいです。今回のライブでは、コアなファンだけでなく、誘われて来たような人たちもジョナゴールドの沼に引っ張っていけるようにしたいですね(笑)

バンド編成で歌うジョナゴールドさん(写真提供=リンゴミュージック)バンド編成で歌うジョナゴールドさん(写真提供=リンゴミュージック)

ーージョナゴールドさんにとって青森での活動とは?

もちろん青森は好きだし、どこへ行っても青森に帰ってくる場所ではあるんですが、まだ勉強できていないことが多すぎると感じています。青森から発信することはできるんですけど、外のものを勉強することは外に行かないとできない。音楽の世界としての勉強っていうものをちゃんと外へ出てしていきたいと考えることがあります。

青森の中で音楽を作り続けるというよりは、外からの景色とかもちゃんと見た上で、青森から何ができるかとか、青森でできることを考え直すようなスタイルが、今のわたしにとって一番の理想かなって思います。

ーー青森を出るかもしれない?

青森に限らずなんですけど、本当にいろんな経験をしたいと思っています。音楽だけじゃない、私生活とかでも。いろいろな人の話を聞いて、いろいろな経験をするからこそ生まれる感情や思いを歌に還元できることがあるのかなって。

青森からいい歌が歌えたらいいなっていうことなんです。わたしの根本にあるのは。だからわたしの曲は「リンゴがおいしいよ」という歌を歌っているわけではない。でも、わたしの歌を聞いたら、一度は青森に行ってみたいなと思ってもらえたり、ジョナゴールドを知らなければ青森のライブハウスに行ったりすることがなかったといったファンを全国に増やすことができたらいいなって思っています。

ジョナゴールドさんジョナゴールドさん

ーー音楽活動以外のことは?

何かを表現をするという点で、演技や芝居という刺激には興味があります。でも、あくまでも音楽が軸。今は何ごとも音楽に還元したい気持ちがあって、わたしにとっては表現の一つ。今は音楽を続けたいし、音楽を通じてみんなと一緒に楽しんでいきたいです。

ーーありがとうございました!

ジョナゴールド 1st Album「WEEKEND」

2023.1.18 Release(CD&デジタル) CD価格:¥3,000-(税込)

Track:
01. ハジマリズム 02. Rain Dance 03. アメリア 04. 好きみたい 05. Yeah-Yeah 06. 風待ちリップ 07. 祭りのあとの、あの風は 08. WAVY BABY 09. 7号線 10. WEEKEND

https://www.jonagold.jp/post/20221125_01

 

JONAGOLD ONE-MAN LIVE 2023 "WEEKEND"

【日程】
2023年1月29日(日) 青森公演@青森市民ホール(リンクモア平安閣市民ホール)
2023年2月12日(日) 大阪公演@LIVE SPACE CONPASS
2023年2月19日(日) 東京公演@DUO MUSIC EXCHANGE

詳細 » https://www.jonagold.jp/post/20221125_02

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