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【特集】世界で愛される数々の名曲/弘前出身の作曲家・菊池俊輔さん

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「こんなこといいな できたらいいな(※)」で始まる、誰もが口ずさめるこのフレーズとメロディは、ご存じ、国民的アニメ「ドラえもん」の主題歌である。「タイガーマスク」「Dr.スランプ アラレちゃん」「ドラゴンボール」などのアニメや「暴れん坊将軍」「Gメン '75」といったドラマ、「仮面ライダー」「アイアンキング」 などの特撮もすべて弘前出身の作曲家が作った楽曲が使われている。その作曲家の名前は菊池俊輔さん。1931年に弘前で生まれ、弘前で育ち、弘前を離れて東京で活躍した。2021年4月にその生涯を終え、現在は弘前の誓願寺に墓がある。菊池さんとは一体どういう人物だったのだろうか。
※作詞 ‥ 楠部工、補作詞‥ ばばすすむ、作曲 ‥ 菊池俊輔。1979年の「ドラえもんのうた」より引用

◇弘前での映画生活、そして音楽◇

菊池さんは弘前公園近くにある紺屋町の鮮魚店の長男として生まれた。父・正実と母・ きくとの間に生まれた待望の子どもで、祖母・たみにはかわいがられながら育ったという。家は、菊池さんが6歳の時に祖母・たみの実家で仕出し店「京野屋」の近くにあった旧津軽病院の正門の隣に引っ越し、新たに菊池魚店はスタートする。菊池さんは弘前工業高等学校機械科を卒業後、弘前市役所に1年半勤務し、退職した後に上京。日本大学藝術学部音楽学科に入学し、作曲を専攻した。

幼少期の菊池俊輔さん(左)小学校入学時の写真(右) 幼少期の菊池俊輔さん(左)実家近くにあった旧津軽病院門前で7歳時の菊池俊輔さん(右)

菊池さんは映画館に入り浸るような映画少年だった。祖母・たみに連れられ、弘前市の映画館をハシゴしたほか、青森市まで映画を見るために通ったことがあったという。長男で後継だったということもあり、家族は菊池さんに甘かった。自室でレコードを聞いたりギターを弾いたりするなど、映画だけでなく音楽活動にも傾倒していく。作曲は高校時代から始め、在学中には音楽部を創設。歌うことが好きで、市内の大学生が主宰する学生合唱団にも参加した。

祖母・たみさんと菊池俊輔さん  祖母・たみさんと菊池俊輔さん

市役所に勤務している時は、終業後に弘前大学音楽科教員でのちの青森県作曲家協会初代会長の阿保健さんのところへ学びに通った。菊池さんは阿保さんから作曲の基礎を学んだと、上京しても恩師として慕い続けていた。大学卒業後は、プロの映画音楽家を目指して木下忠司さんに師事。木下忠司さんは、 兄に映画監督の木下恵介さんを持つ作曲家で、「人間の條件」や「伊豆の踊子」といったヒット映画の音楽を担当している。

学生時代の菊池俊輔さん  学生時代の菊池俊輔さん

◇作曲家デビューからヒットメーカーに◇

菊池さんが作曲家としてデビューしたのは、1961年に公開された映画「八人目の敵」だった。東映専属の映画監督・佐藤肇さんが菊池さんを引き抜き、映画音楽の世界へと足を踏み入れた。その後も佐藤さんからの依頼は多く、初めてテレビアニメを担当したのは1965年の「宇宙パトロールホッパ」。菊池さんは映画音楽とアニメ音楽の違いをこう語っている。「アニメの劇伴は映像ができる前に作ってしまう場合が多い。作品の内容やキャラクターについて演出家や選曲家と打ち合わせし『溜 (た)め取り』をする。同じ活劇でも使い分けができるように工夫します」(「菊池俊輔作品集」より引用)。圧倒的な仕事量の裏にある菊池さんの努力が見える貴重な発言である。

作曲家として大成した菊池俊輔さん  作曲家として大成した菊池俊輔さん

菊池さんの少ないインタビュー記事の中で、人に恵まれていたことへの感謝と無我夢中で作曲活動を続けていたことを明かしている。1963年にはNHKドラマ「野菊の墓」で初めてテレビドラマの音楽を担当。映画、アニメ、ドラマとジャンルを問わない多作の作曲家として名を馳せ、「菊池俊輔が音楽を担当すれば番組もヒットする」と業界で呼ばれるほどのヒットメーカーとなった。

一匹狼の撮影現場の集合写真。菊池俊輔さんは上段右から5番目にいる  「昭和残侠伝 一匹狼」の撮影現場の集合写真。菊池俊輔さんは上段右から5番目にいる

1969年から始まったアニメ「タイガーマスク」は国民的人気 となったが、実は弘前出身の2人の出会いが背景にあった。主題歌の「行け!タイガーマスク」と「みなし児のバラード」は勇壮なオープニングと、哀調を帯びたエンディングの二面性が当時は大きな話題となった。作曲はもちろん菊池さん。そして、作詞の「木谷梨男」 はプロデューサーの斎藤侑(たすく)さんのペンネームで、斎藤さんは実は弘前出身。初めて知り合った場では故郷の話をすることもなかったが、次第に話をしていく中で津軽弁が出てくる2人は、すぐにその場で意気投合をしたという。「いつか仕事を一緒にしよう」。その約束が実現し、「タイガーマスク」へと結びついた。

◇国境や時代を超える菊池俊輔の音楽◇

アニメ「ドラえもん」や「ドラゴンボール」は世界各地で放送されるほど、和製アニメ「ジャパニメーション」の先駆けとなった。日本音楽著作権協会が主宰する「JASRAC 賞」において、菊池さんは「国際賞」を複数の作品で受賞。1983年 には映画「誘拐報道」「青春の門 自立篇(へん)」で日本アカデミー賞優秀音楽賞に選出したほか、第12回東京アニメアワードでは第9回功労賞(作曲部門)に選ばれたり、第57回日本レコード大賞功労賞を授与されたりしている。青森県内では2003年に青森県褒賞(文化部門)、2006年には東奥賞に選ばれた。また、弘前市立大成小学校の校歌を作曲したこともあった。

映像として残っている菊池俊輔さん  映像として残っている菊池俊輔さん。1999年に青森で講演した当時の記録映像から

菊池さんの曲は現在でも使われ続けている。1970年代のヒット作品「女囚さそりシリーズ」の主題歌「怨み節」は、カルトな人気を誇るハリウッド映画「キル・ビル」でも使用された。 来年公開予定の映画「シン・仮面ライダー」ではその予告で、菊池さんが作曲した「レッツゴー !! ライダーキック」が使われている。一度聞いたら忘れられない印象的なメロディや子どもにも覚えやすい親しみのある楽曲は、時代を経ても色褪せることなく、「菊池節」として今でも脈々と受け継がれている。

現在開催中の「菊池俊輔ロビー展」  東奥信用金庫本店で開催されている「菊池俊輔ロビー展」

2021年4月24日の訃報に接し、さまざまな弔意があった中、 菊池さんの楽曲で歌唱を担当した水木一郎さんは、菊池さんの作風について「雪国出身者ならではの日本の匂いや哀愁的なニュアンスを持っている」と評した。菊池さんの音楽は、もしかすると弘前ねぷたまつりの囃子(はやし)や津軽三味線の打奏、津軽民謡、お山参詣の掛け声といった津軽の音が大きな影響を与えていたのかもしれない。弘前が誇る作曲家・菊池俊輔さん。彼が残した功績を今一度、地元弘前から見つめ直してみたい。(「月刊弘前2022年12月号」の内容を一部編集して掲載しています)

最晩年の菊池俊輔さん  最晩年の菊池俊輔さん

菊池俊輔(きくち・しゅんすけ)
1931年弘前市生まれ。旧弘前市立第一大成尋常小学校に入学し、弘前工業高校機械科に進む。卒業後は弘前市役所に勤務するが、1952年に日本大学藝術学部音楽科に進学するため上京。1961年に映画「八人目の敵」で映画音楽家としてのデビュー。テレビドラマ「野菊の墓」で初のテレビ劇伴を担当。「赤いシリーズ」「スクール☆ウオーズ」「若大将天下ご免!」のほか、「バビル2世」や「忍者ハットリくん」「新ビックリマン」など、さまざまなアニメーション作品にも携わる。2002年には母校・弘前市立大成小学校の校歌を作曲。2021年4月24日、誤嚥性肺炎により東京都内の療養施設で死去。享年89。

弘前レジェンドを語り継ぐ会

弘前出身で活躍したさまざまな著名人を紹介する市民団体。「弘前レジェンド」では現在、菊池俊輔さんの遺族から譲り受けたピアノや受賞したゴールドディスクを展示した「菊池俊輔ロビー展」を東奥信用金庫本店(弘前市土手町)で開催中です。菊池俊輔さんの3回忌を迎える2023年4月には、菊池俊輔さんを題材にしたイベントを計画しています。

弘前で「菊池俊輔展」 「ドラえもん」「ドラゴンボール」アニメの作曲家(弘前経済新聞)

「月刊弘前」2022年12月号(第521号)
「月刊弘前」2022年12月号(第521号)は、菊池俊輔さんの妹や息子、同級生らのインタビューをまとめた特集号です。380円(税込)。

月刊弘前12月号

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