弘前パークホテル(弘前市土手町、TEL 0172-36-3232)2階にある「麺処居酒屋わらび」が10月19日、閉店する。
地元民を中心に100人が集まった「さよならパーティー」で花束を受け取る板垣キミさん
1956(昭和31)年創業の同店。鍛冶町の一角に店を構え、4度の移転をへて、1988(昭和63)年に同ホテルにテナント入店した。現在は、青森の郷土料理を提供する居酒屋として営業している。
店主の板垣キミさんは1925(大正14)年生まれの現在94歳。「料理のほとんどは手作り。既製品は使わないのが信条」と、現在でも開店15時前から自ら料理を仕込み、閉店時間の22時頃まで店頭に立って接客を行う。
キミさんは創作郷土料理の店「菊富士」(土手町)創業者の板垣菊造さんの長女として生まれ、女学校進学のため上京するが、太平洋戦争のため1944(昭和19)年に帰郷。「あと一年遅かったら東京大空襲にあっていたかもしれない」と話す。
大衆酒場として開業したのは31歳の時。2人の娘を育てながらの独立だったという。長女の美智(みち)さんは高校卒業後、母を手伝った。美智さんは「当時は支店を増やして人が足りなかった。妹の泉と一緒に手伝うようになり、いつの間にか母と一緒に50年以上も働くことになった」と振り返る。
スナックに業態変更したこともあったという。「当時は景気がよく出張客が多かった。昭和、平成、令和と店を続け、景気の浮き沈みは何度も経験した」とキミさん。「鍛冶町は東北エリアでは仙台よりも大きな繁華街と呼ばれる時代もあったが、今ではすっかりさびしくなってしまった」と当時を懐かしむ。
「趣味は読書と旅行」と話すキミさん。「時間を忘れ、深夜3時まで本を読みふけることもあった」と笑顔を見せる。「最近は老眼が進み、文庫本の字は読みにくくなった。読書以外に趣味がないため、読む本がなくなると図書館や古本店へ行き本を探す。地域の公民館に読んだ本を『わらび文庫』として寄贈したこともあった」とも。
「旅行は3年前にハワイへ行ったのを最後に海外旅行はあきらめた。空港の乗り継ぎの移動距離が大変」とキミさん。ヨーロッパやアメリカにも何度も足を運び、地元紙に連載コラム「ママさんの海外旅行記」を担当したこともあった。
63年間営業の歴史に幕を下ろす理由について、キミさんは「店を辞めようと考えたことは一度もないが、娘が入院するようになり、1人で店を回すのが難しくなった。店に出てくる体力はまだ残っているのだが」と肩を落とす。
9月30日には地元の常連客など100人以上が集まり、「わらび さよならパーティー」が行われた。キミさんは「『さよなら』だとしんみりしてしまう。『これからやるぞ』というパーティーにしよう」と会場を盛り上げた。
今後について、キミさんは「一緒に遊びに行く友達はみんな死んでしまった。冬になれば外にもあまり出られなくなる。自伝を書いてみようかな」と笑顔を見せる。