弘前の豊田地区で交通整理員を25年間続けた外崎宮子さんが今月31日、退職する。
地元で「緑のおばさん」の愛称で親しまれている交通整理員は、地域の小学校の通学路上に立ち、登校児童の交通整理や安全確保を行う市の嘱託員。弘前市内では現在3人おり、3人の中で累積勤務期間が最長という外崎さんは、公務員規定で60歳の定年を迎えたため同日退職する。「交通整理員を始めたころは20人以上いたが、年々少なくなり、私の後任はいない」と肩を落とす。
外崎さんは交通整理員になる前は会社員をしていたが、体調不良によりフルタイムでの勤務が難しくなったことから退社。近所に住む前任者から誘われたことがきっかけとなった。「子どもに相談したら『やってみればいいよ』と後押しされた。今ではお母さんにぴったりな仕事だねと言われることがある」と話す。
業務は登校時と下校時の1時間程度。登校日のほか、運動会などの学校行事や豊田地区の近くにある弘前市運動公園でイベントが開催される時にも交通整理を行う。「インフルエンザにかかったり、どうしても行けなくなったりした時は友人や近所の人に代わってもらったこともあった。みなさんに支えられてやることができた25年だった」と振り返る。
外崎さんが担当する場所は、信号がない五差路で河川沿いにあるため1本の道路は橋が架かっている。「初めて現場に立った時は、5本の道路から自動車が来る上、子どもたちが次から次へ登校してくるため、きちんと誘導できているのか不安だった」と話す。
市の教育委員会を通じて意見書を取りまとめ、所轄の警察官と一緒に現場を視察したこともあった。外崎さんによると、信号機の設置基準に満たないため、同五差路に信号機を設置することはかなわなかったという。
25年を振り返り、「子どもたちからいつも元気をもらっていた」と外崎さん。「子どもたちの名前は全員覚えていたことは自慢。受験に合格した子どもと一緒にカフェで合格を祝ったり、買い物や街ですれ違って声を掛けたりしたこともある。昔誘導していた子どもが親となり、その子どもが今登校していることもある」と目を細める。
「後任がいないことを危惧している」という外崎さんは「昨年、五差路では自動車同士の事故が2件起きている。事故が起きてからでは遅い。地域のみなさんが子どもたちの通学路のことをもっと考える機会を作ってほしい」と話す。
退職後について、外崎さんは「子どもたちが集まるような居場所を作りたい。たとえば昔ながらの駄菓子屋さんのような場所。店名はもちろん『緑のおばさん』」と笑顔を見せる。