関医院中津軽診療所(弘前市賀田)が10月16日、25周年を迎えた。
診療所長の関秀一さんは千葉県生まれで東京・世田谷区育ち。同じ職場にいた青森出身の看護師に誘われ、青森・今別町で1987(昭和62)年に約10カ月間だけ診療を手伝った経験から、1991年に独立する際、縁もゆかりもなかったという旧岩木町の同地に診療所を開いた。
開所に当たっては周囲から反対もあったという。関さんは「患者さんが誰も来ないのではという不安はあったが、初日は13人が訪れ、その後も1日10人単位で増えていった」と話す。
25年間を振り返り、津軽弁での失敗は多かったと笑顔を見せる関さん。「津軽弁のテレビCMを理解するのに4年もかかったことがあった。それより早口だった私に対し、『先生の標準語は聞き取れない』と指摘する患者さんも多かった」とほほ笑む。
「こんな不便な田舎にどうして医者を始める気になったのか」と、よく質問を受けると言う。関さんは「ここは世田谷と変わらない。世田谷にも不便なところはたくさんある」と話す。
「旅好きで知られる、イギリス人作家のアラン・ブース氏が『津軽』という旅行記を出版するくらい魅力ある土地。紀元前から津軽には私たちの先祖がすでに住んでいて、遺跡も残っている。長い歴史のある土地の上で生活しているすばらしさに気づいてほしい」とも。
関さんは現在68歳。75歳までは診療所を続けたいと意欲を見せる。「この10年で弘前の食や文化のレベルがさらに上がり、おもしろい人たちが増えてきた。関東に戻ることはあまり考えてない。最期まで弘前に住み続けたい」と話す。