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弘前で60年以上続いたレストラン「和久」の看板が復活 かつての常連客が保管

「和久」の看板を立てかけた

「和久」の看板を立てかけた

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 弘前の上土手町にある西谷ビルの外壁に現在、「レストラン和久」の看板が掲出されている。

1999年まで営業していたレストラン和久の外観

 1932(昭和7)年に居酒屋「呑平(のんべえ)」として開業した同店は、親子2代に渡って続いたが、1999年5月5日に閉店した。店舗があった建物は老朽化が進み、昨年10月に解体され、現在は駐車場となっている。

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 「呑平」は、大正時代に宮城県から移住してきた長部恭平さんが新聞記者を辞めて始めた居酒屋だったといい、長部さんは1935年に他界。長部さんの妻・みきさんが跡を継ぎ、店を切り盛りしていた。

 太平洋戦争中、「呑平」の店名が「戦時下には不謹慎」と憲兵から指導を受けたみきさんは、店名を旧姓の「和久」から取り、「レストラン和久」と改称。以降、居酒屋から日本料理店として約30年続けた。

 みきさんの次男・誠さんが「キリンビアホール和久」として開業を始めたのは1971(昭和46)年。誠さんは直木賞作家の長部日出雄さんの実兄で、同店を経営する傍ら、趣味が高じて始めたカメラで写真集を出版するなど、写真家としても知られる。店内には誠さんが撮影した写真が多数飾られていた。

 同レストランは、メロンソーダやハンバーグといった子ども向けからビールやつまみといったメニューまでさまざまな料理を提供していたため、幅広い客層に親しまれた。西谷雷佐さんも通い続けていた一人。同レストランに隣接する西谷ビルのオーナーの子どもだったという西谷さんは、幼少のころから「つけ」で食事をしていたという。西谷さんは「嫌いな食べ物を抜いてくれたオリジナルメニューもあった」と振り返る。

 現在、西谷さんは同ビルで旅行代理店「たびすけ」を運営している。昨年、レストラン「和久」のあった建物が解体されると聞き、店の外壁に設置されていた看板だけを譲り受け大切に保管していたという。「レストラン和久がここにあったことを残したかった」と西谷さん。看板は今年4月、西谷ビルの外壁に設置したという。

 誠さんは2007年にすでに亡くなっているが、命日にあたる8月13日には、青森市在住の誠さんの妻・久美子さんと長女・村林美智子さんが毎年、墓参りに弘前を訪れる。今年も墓参りのため、弘前を訪れた際、西谷ビルに設置された看板を見たという。「本当にうれしい」と久美子さん。村林さんも「こんな風に大事に飾ってもらえてありがたい」と笑顔を見せる。

 西谷さんによると、ウェブ上では当時のファンたちから解体を惜しむ声や、当時を懐かしむ声などがあったという。「レストラン和久がこの場所にあったことや昔を思い出すようなスポットになれば」と話す。

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