青森・西目屋村にある「不識塔(ふしきのとう)」と「広泰寺(こうたいじ)」が2月26日、村の文化財に指定されて20周年を迎える。
不識塔と広泰寺はどちらもレンガ造りの建造物で、建てられたのは1912(大正元)年、1913(大正2)年。西目屋村川原平にあり、冬季は閉鎖される場所にある。
不識塔は標高300メートルの焼山平の頂上に立つ塔で、高さ約20メートル、基底直径約6メートル。奈良法隆寺にある重要文化財「百万塔」を参考にした形状といわれる。広泰寺は焼山平の麓にあり、西目屋村によると、赤レンガ造りの本堂としては日本初の寺院だったといい、現在でも寺院建築としては珍しいものという。
造営したのは、弘前の実業家・齋藤主(つかさ)。津軽藩士の長男として弘前で生まれるが、測量・土木技師として成功し、西目屋村の川原平地区の開拓に力を注いだ。水田開発や植林事業、道路開削に尽力。齋藤主は1919(大正8)年に亡くなるが、その遺言から不識塔の祭壇下(地下)に遺体はホルマリン注入保存され、1980(昭和55)年まで安置された。
西目屋村では1998(平成10)年、老朽化の進んだ広泰寺を保存改修した。2000(平成12)年から不識塔も改修を予定していたが、費用の課題から実施には至らなかった。同村教育委員会の担当者は「充填(じゅうてん)材による補強案もあったが、費用が大きな問題。改修したとしても、ユニークなレンガ造りの塔を維持し続けることは難しい」と話す。
村は文化遺産として後世に伝えるため、2002(平成14)年2月、村の有形文化財に指定した。村では指定の理由を「れんが造りの外観や工法など、あらゆる面で当時としては卓越した建造物」としている。現在は鉄骨骨組によって塔は固定され、外観を見たり、中に入ったりすることはできない状態となっている。
同担当者によると、現在のところ、不識塔は現状維持が最優先で今後改修するなどの計画は立っていないという。