青森県立美術館で現在開催中の「描(えが)く人、安彦良和」は、漫画家でアニメーションディレクターの安彦良和さんの企画展である。安彦さんはアニメーターとしてさまざまな作品に携わり、「機動戦士ガンダム」ではキャラクターデザインを担当。歴史や神話を題材にした漫画家としても活動する。その根心には弘前大学で過ごした4年間の経験が深く根ざしている。
目次
1.北海道から弘前入学に入学
2.学生運動、逮捕。そして退学
3.創作の原点、画業への一歩
4.青森、弘前への想い。宇宙世紀に青森りんご?
5.安彦さんの今後、青森へのメッセージ
――安彦さんは1966年~1970年、弘前大学で学んでいました。弘前の印象を教えてください。
弘前の人には申し訳ないのですが、最初は「何もない田舎町だな」という印象でしたね(笑) 。城下町の風情はありましたが、道は狭くて歩道すらない。北海道の北部にある遠軽町から少しでも東京に近い場所を目指し、弘前大学に入学しました。内地の弘前なのだから少し都会であることを期待していた反動があったかもしれません。
青森会場は、幼少期から大学時代の展示物が他会場より多い
――当時はどんな思い出がありますか?
弘前大学の目の前のアパートに住んでいました。美人の大家さんで、たいへんお世話になりましたね。10年前に取材(※)で弘前を訪れることがあり、その際にアパートを訪れ、大家さんにもあいさつをしました。「漫画を描いていた人だね」と言われ、それまで漫画を描いていたのは高校までだったと記憶していたのですが、大学に入ってからも漫画は描いていたようです。漫画家は現実を知って諦めていたと思っていたのですが、記憶違いでした。
※「原点 THE ORIGIN 戦争を描く、人間を描く」(岩波書店)の取材
――漫画を描き始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
小学校低学年ごろだったと思います。漫画は独学。絵を描く紙にも苦労した時代で、ノートの裏とか兄弟のお下がりとかに描いていました。月刊誌「少年」や「冒険王」で漫画を知って、見よう見まねで描いていましたよ。鈴木光明さんという漫画家の歴史漫画が好きで、それをよくまねて描いていました。
A4ノートに書かれたイラストはすでに才能が開花していることをうかがわせる
――今回の展示には高校時代に描いたという「遙(はる)かなるタホ河の流れ」があります。
高校3年生のこれから入学試験があるという1月に描き始めた記憶があります。大学進学を目指す高校生にはとても思えませんね。大学ノート2冊分の漫画でしたが、描き上げたことでいったん筆を置くことにしました。まさかこの漫画が後年、虫プロダクションに持ち込む作品として使われ、入社に役立つことになるとは思いもしませんでした。
――今回の個展は兵庫から始まり、青森は3会場目です。青森会場では目玉の展示の一つとして、弘前大学の退学処分通知書があります。
私自身、初めて見ました。弘前大学附属図書館に残っていたようです。逮捕された当時の新聞記事まで展示されているのは青森会場ならではの展示ですね。
――退学というのは当時いったいどのようなことをしたのでしょうか?
学生運動が活発な時代でした。東大のバリケード封鎖や実力行使を伴った運動などが全国で盛んで、弘前大学もその一つ。私もオピニオン誌「こんみゆん」を発行したり、反戦学生団体「ベトナムの平和を願う会」を立ち上げたりするなどの活動を行っていました。
弘前大学の学生運動は30人~50人くらいの小さなものでした。「準備会」と名乗るほどで、デモの時に掲げる旗にも「(準)」と書いていました。1969年9月、私は大学4年生です。解体予定だった木造旧教室の使用方法をめぐり、学生たちによる大学の本部占拠にまで発展しました。占拠は3週間にも及びましたが、無血であっけなく幕を閉じます。私が逮捕されたのは収束した2日後でした。
弘前で過ごした大学時代を振り返る安彦さん
――逮捕された経緯を詳しく教えてください。
弘前大学の本部占拠は、正当化できるような説得力がなく、活動の暴発でした。私は占拠から2週間後に上京していて、関わってはいませんでしたが、首謀者として逮捕されました。メンバーの中で年長だったからです。
取り調べでは、刑事から「東京へ行っていたのは上層組織から指示をもらいに行っていたのだろう」と疑いをかけられていましたが、「就職活動です」と答えていました。本当の話で、上京した理由は就職活動。東京にいた先輩に誘われ、弘前大学を卒業した後の仕事探しをしていました。結局、卒業はかないませんでしたが。
――拘留期間は半月程度で、釈放されます。当時を振り返るとどんな思いだったでしょうか?
年が明けて1970年に退学処分があり、将来が見えず途方にくれていました。顔写真付きで逮捕された記事が新聞に載ってしまったので、弘前にはいられず、かといって北海道にも帰るつもりもありませんでした。
――弘前大学を1970年1月に退学となりましたが、弘前にはその年の6月まで滞在しています。何をしていたのでしょうか?
マッチ箱のラベルやメニュー表のデザイン、タウン誌の挿画を描いていました。学生運動をしていた時に声をかけてきた美術専攻の学生から、おもしろい仕事があると紹介されたことがきっかけです。当時はタバコが今より自由に吸え、ライターがまだなかった時代。スナックや喫茶店では店のオリジナルのマッチ箱があり、紹介された広告会社を一人で立ち上げた三上紀一社長と一緒に鍛冶町の店に売り込みに行ったり、デザインしたマッチ箱を持ち込んだりしていました。
事務所が土淵川沿いにあって蓬莱橋の下の方に(※)、半分川に落ちかけているようなボロい建物でした。マッチ箱はけっこうな数を描いた記憶があります。おそらくもう残ってはいないとは思いますが。どちらにしても弘前にいたこの期間に、「絵でお金をもらう」という選択肢があることに気づかされた大きな転機となりました。
※弘前市街を流れる一級河川。蓬莱橋は中心商店街・土手町にある橋
――弘前にいたことが原点になっているかもしれませんね。
今の私はなかったと思います。本当は東京の大学に行きたかったが、北海道から近い弘前で途中下車。4年間過ごした後、今度こそ憧れの東京へ行くことになりましたが、憧れていた東京は憧れるような街ではありませんでした。まとまりがなく貧しい。そんな風に感じたのは、人生の壁にぶち当たっていたからなのかもしれませんが、憧れ続けた東京「都会への夢」も破れることになります。
「Q都」の挿絵。中央に描かれた人物には「某大中退」と書かれている(画像提供=中西孝之さん)
そして、東京では写植屋(印刷用の版下を作る仕事)に勤めますが、この仕事にも慣れず、さらに落ち込みます。多くの現実にぶち当たり、破綻した時期です。そんな中で見つけたのが、手塚治虫さんのアニメ制作会社「虫プロダクション(以下、虫プロ)」のアニメーターの求人広告でした。
――そこから安彦さんのアニメーターとして活躍が始まる
そんなたいそうなことではありません。アパートから近いからといった軽い気持ちで応募することになり、面接待ちの行列に諦めかけたくらいです。虫プロは「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」の人気が健在でした。私は当時テレビを持ってなくて、アニメを見ていなかったため、面接官の質問にうまく答えることができていなかったと思います。ですが採用されてしまった。私としても写植屋の仕事よりは良く、絵を描く仕事だったという理由から転職しました。
――虫プロで富野由悠季さんと出会い、「機動戦士ガンダム」へとつながります。
虫プロにいた時は、富野さんは顔を見ていた程度です。初めて一緒に仕事をしたのは、1973年に虫プロが倒産した後になります。富野さんもフリーランスとして独立し、私もフリーランスのアニメーターとしてさまざまな仕事に関わるようになっていました。
1979年に放送された「機動戦士ガンダム」で富野さんとテレビシリーズを制作。放送中に入院を余儀なくされ、制作現場から離脱し、のちに公開する劇場版では作画監督として復帰します。入院で途中降板するようなことは後にも先にもこの一度きり。当時はこのまま死んでしまうのかなとさえ思いました。
――実はその劇場版の「ガンダム」では「青森りんご」の段ボールが見られます。
そうですね。段ボールと言えば「青森りんご」と書いてしまうのは、ノリというか、反射的に描いてしまう。具体的に店の名前や商品名が入っていないのであれば、監督からも特に指摘はされないものです。
「劇場版 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」から。主人公アムロ・レイの父親の部屋に青森りんごの段ボールが見える(C)創通・サンライズ
――ほかにも初の監督作品「クラッシャージョウ」の中には「浪岡りんご」の段ボールが出てきます。
それは浪岡でリンゴ農家をやっている知り合いがいたからです。けっこうそういう遊びを描いていると思いますが、全部はとても覚えていないです。
――弘前にはよく戻ってきていたのでしょうか?
いえ、弘前を離れてから弘前を訪れたのは2回だけです。10年前の取材の時と、「クラッシャージョウ」を公開した1983年。弘前に用事があったわけではなく、八戸の用事を済ました足で立ち寄ったことを覚えています。「クラッシャージョウ」の映画看板を見るために、土手町周辺を散策しました。
その時覚えているのは下土手町にあった洋菓子店「ボルドー」。マッチ箱をデザインしたこともあったので記憶にありました。今はもう店はないようですね。
青森会場の様子。広い展示スペースを活用した
――最近ご覧になった作品で印象に残っているものはありますか?
「ルックバック」は良かったですね。原作を知らないので、アニメ劇場版との違いがどうなっているんだろうと気になるところがたくさんあります。
この作品は、青春ものだからいいというわけではなく、作りが非常にいいというか、少数のスタッフでこれだけのアニメを制作しているところが良いですね。欲を言えば上映時間がもう少し長くても良かったのではと思いますが、約60分の上映時間で満足できる内容でした。
劇場版ガンダムに使われたイラストの前に立つ安彦さん
――「ルックバック」は漫画家を目指す若い2人の話です。自分と重なる部分がありましたか?
それはないです。時代も違いますし、今の人たちの現状を知る勉強にはなりました。私の場合、子どものころに漫画家に憧れたことはありましたが、一直線になったわけではなく、気が付いたらアニメの世界にいて、また気が付いたら漫画家になっていました。「ルックバック」のように思いを遂げたというパターンではないのです。
――今後の目標などはありますか?
今までやってきたことの、「雑務整理」にほとんど入っています。やり残していることを拾って、心残りがないように店じまいをするといった感じです。だから何を残しているのかなと。
気になっているのは、ガンダム関係で何かやり残していることはないか、ということですね。アニメーションは辞めたと宣言しているのですが、ガンダム限定で「まだ俺はやれるな」という感じにはなっています。ガンダム限定を外した仕事もちょっと未練があって、実は気になっているんですけどね。
現在77歳の安彦さん。現在の目標を語る
――最後に、弘前、そして青森の人たちにメッセージをお願いします。
私は4年しかいませんでしたが、津軽弁もマスターできず、なかなか馴染めませんでした。でも、離れて時間が経つと、濃い地方色というのは非常に貴重だと思うようになりました。短い間でしたが、そこに浸れたことは、自分にとって何かの栄養になっていると思います。皆さんにも、その良き地方色を大切にしてほしいですね。
――本日は貴重なお話、ありがとうございました。
描く人、安彦良和
【会期】~2025年6月29日(日)
【会場】青森県立美術館
【住所】青森市安田字近野185
【休館日】5月12日(月)、5月26日(月)、6月9日(月)、6月23日(月)
【開館時間】9時30分~17時(入館は16時30分まで)
【観覧料】一般1,700円(1,500円)、大学生1,000円(800円)、18歳以下および高校生無料 ※( )内は20名以上の団体料金。
» 青森県立美術館
参考文献
「原点 THE ORIGIN 戦争を描く、人間を描く」(岩波書店)