見る・遊ぶ

弘前から稀勢の里の元付き人がエール 奉納土俵入りの雄姿見守る

テレビで稀勢の里の奉納土俵入りを見守る花田将人さん

テレビで稀勢の里の奉納土俵入りを見守る花田将人さん

  • 0

  •  

 19年ぶりの日本人横綱となった稀勢の里の奉納土俵入りを1月24日、弘前在住で元付き人の花田将人さんがテレビで見守った。

鳴戸部屋時代の稽古をしている稀勢の里と花田さん

[広告]

 花田さんは現在、ちゃんこ料理店「菜食健美ちゃんこ たかまる」(弘前市品川町、TEL 0172-55-9853)を営む。弘前第三中学校を卒業後、1992年に青森浪岡出身の元隆の里の鳴戸親方が立ち上げた鳴戸部屋に入門し、15年間の力士生活を送った。

 稀勢の里が鳴戸部屋に入門したのは2001年。中学校を卒業したばかりの稀勢の里を花田さんは教育係として、掃除の仕方から人との接し方といったことを教えたという。「真面目だが、ひょうきんな一面もあった」と振り返る。

 稀勢の里の実力はしこ名の通り、「稀(まれ)な勢い」があり、寝て起きたら強くなっていたと花田さん。2004年3月、稀勢の里が関取となった際に付き人となった。鳴戸親方からは「分かっているな」と一言だけ伝えられたという。付き人生活は「関取と付き人、先輩と後輩という関係は変わらず、お互いを尊重し合う関係だった」と、花田さんが引退する2007年1月まで続いた。

 花田さんが引退する時に稀勢の里は7勝7敗で千秋楽を迎え、世話になった人へのはなむけをしたいと勝ち越しを誓ったが、結果は敗退。引退後に部屋の関係者からの話によると、負けて申し訳ないと周囲に漏らしていたという。

 2014年8月には青森県武道館(弘前市豊田)に田子ノ浦部屋(旧・鳴戸部屋)を招へいし、稀勢の里や若の里、高安などを呼び、公開稽古を行った。「2011年に鳴戸親方が急死して以来、青森での稽古がなかったが、市民からの要望もあって実現した」と花田さん。2日間で2000人もの住民が足を運んだ。

 横綱が決まって囲み取材を受けている様子をテレビで見た花田さんは、稀勢の里らしいと感じたことがあったという。「記者から笑顔を求められたが、笑顔を見せることがなかった。横綱になった喜びだけではなく、これからの覚悟を感じ取れた」と話す。

 15時に始まった奉納土俵入りを生中継で見届けた花田さんは「けがには気を付けて、今まで通り頑張ってもらいたい」とエールを送った。

ピックアップ

弘前経済新聞VOTE

「すじこ納豆」を食べますか?

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース