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弘前のセレクトショップ「IVY」40周年 親子2代で姉弟が継ぐ

櫛引織恵さん(左)と長内伸吾さん(右)

櫛引織恵さん(左)と長内伸吾さん(右)

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 弘前のセレクトショップ「IVY(アイヴィ)」(弘前市駅前町、TEL 0172-33-6543)が3月20日、開業40周年を迎えた。

ハイ・ローザ時代の店内の写真

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 国内外20ブランドを扱い、現在は複合施設「ヒロロ」1階にある同店。2代目社長の櫛引織恵さんと、弟の長内伸吾さんは隣接する「マーガレット・ハウエル」FC店で店主を務める。開業は1980(昭和55)年3月20日。土手町にオープンしたファッションビル「ハイ・ローザ」に、姉弟の父・長内勝さんと母・奈保子さんが始めた。

 勝さんは「根無し草や渡り鳥といろいろ冷やかされた。40年は決して順調ではなかった」と振り返る。高校を卒業した勝さんは、「ナカニシデパート」に入社し、「男子専科シミズ」に転職した。弘前駅前にあった「ミスターショップ」などの店長を経験。29歳で独立し、ハイ・ローザ出店に至った。店名の由来は、1960年代の憧れのファッション「アイビールック」から。

 勝さんによると、ハイ・ローザは開業後、経営が一度悪化し、4年後に全館リニューアルした。勝さんは「シミズ」での経験を生かしたブランド構成だったが、新しいブランドを開拓しなければ客離れが進むと、ブリティッシュファッションに目を付けたという。

 「ファッションといえばアメリカという考えを捨てた」と勝さん。ブリティッシュトラッドファッションで有名だった「エーボンハウス(当時はシャンタルデュモ)」と取引を開始した。「田舎からアポなしで上京し、交渉を取り付けることができた。今にすれば考えられないことだが、当時は家族もいて後戻りできなかった」と振り返る。

 1998(平成10)年のハイ・ローザ閉店までに館内の移転や女性向けの2号店を出店。閉店後はルネスアベニュー(現・ルネスアリー)に移転し、2002(平成14)年に下土手町への移転をへて、2013(平成25)年にヒロロに至った。

 勝さんは「ハイ・ローザは渋谷の『109』が弘前にできたようなもの。画期的で、仙台からも訪れるお客さんがいた。おしゃれな土手町で買い物する『土手ブラ』といった言葉が生まれ、憧れの象徴だった」と話す。櫛引さんも「ハイ・ローザでのショッピングは一種のステータス。パーティーがあれば、すてきな衣装で出掛けていく父母がうらやましかった」と振り返る。

 櫛引さんは高校卒業後、弘前で会社員を3年続けるが辞職。店舗を拡大する「IVY」を手伝ってほしいと声を掛けられたことで少しずつ働くようになったという。「最初はひとつも面白くなかった。売れなかったから。少しずつ売れるようになり、『あなたから買いたい』とお客さまが付き仕事が楽しくなった」と話す。

 櫛引さんはその後出産、子育てを経験。仕事から離れるが、穴を埋めるように弟・伸吾さんが入社。「ハイ・ローザ時代から続く従業員もまだ在籍し、その時代からの常連客もいる」と櫛引さん。「40年も続いたことは本当にすごい。お客さまの支持と信頼関係があったからこそ」と明かす。

 3月19日~23日には40周年アニバーサリーイベントを行った。櫛引さんは「常連客の中には小さいころの私を知っている人もいて、『40年もたったんだ』『こんなに小さかったのにね』と当時を振り返りながら来ていただいた人もいた」と笑顔を見せる。

 勝さんは3月から社長から退き、相談役となった。「40年という節目で区切りは考えていた」と勝さん。櫛引さんがIVYの社長に就任した。櫛引さんは「実は祖母に感謝を込めて花束を贈った。共働きの家庭を支えたのは祖母。40年続いた背景にはこういった支えがあり、その上に私たちがいることを忘れず、店を守っていきたい」と意気込む。

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