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報道カメラマン・沢田教一さんの没後50年イベント 安田純平さんの姿も

トークショーに出演した妻・沢田サタさん。写真は沢田教一さん

トークショーに出演した妻・沢田サタさん。写真は沢田教一さん

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 報道カメラマン・沢田教一さんの命日である10月28日、妻・沢田サタさんが弘前でトークショーを行った。

安田純平さんが沢田サタさんの元へトークショー後に駆け寄った

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 沢田教一さんは青森育ちの報道カメラマン。1965(昭和41)年にベトナム戦争の戦場で撮影した「安全への逃避」が日本人としては2人目となるピュリツァー賞を受けたほか、国内外でさまざまな受賞歴を持つ。1970(昭和45)年10月28日にカンボジアを取材中に死去した。享年34歳。

 教一さんの妻のサタさんは弘前出身で、11歳年下の教一さんと1956(昭和31)年に結婚した。弘前在住。トークショーは「HIROSAKI ORANDO」(弘前市百石町)ギャラリースペースで現在開催中の写真展「沢田サタ・教一 二人展」内で行われ、県内外から約20人が参加者した。

 トークショーは感染症対策として15分程度に時間を短縮して行われた。サタさんは「結婚当初、彼はカメラを持っていなかったが、私が買った古いカメラを使い始めた。私は彼のことを『若じい』と呼び、彼の言うことをよく聞いていた」と振り返る。没後50年の節目について、サタさんは「彼は34歳の若さのままだが、私は95歳まで年を取ってしまった」と話す。

 参加者の中には、シリアで3年間拘束され2018(平成30)年に解放されたフリージャーナリストの安田純平さんの姿があり、熱心に耳を傾けていた。

 トークショーの最後に会場から質問を受け付けたところ、安田さんが手を挙げた。安田さんは「戦場に行った教一さんをどんな思いで待っていたのか」と質問。サタさんは「気を付けては、当たり前に気を付けているだから言葉にできず、ただいってらっしゃいと見送ることと待つことしかできなかった」と答えた。

 トークショー後、安田さんがサタさんの元へ近寄り、戦場カメラマンのことや現在の情勢について尋ねる場面もあった。サタさんは「戦場カメラマンという仕事を嫌っていて、子どもの笑顔や日常の街並みなどの写真を撮りたいと言っていた」と振り返っていた。

 会場内には教一さんが撮影した岩木山の写真などを展示。サタさんは「弘前の実家に滞在した時に朝一人で撮りに行った写真。戦争の写真ではないため、私は気に入っている」と笑顔を見せる。

 開催時間は10時~18時。入場無料。10月31日まで。

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